驫木駅
驫木駅 | |
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駅舎(2019年9月) | |
とどろき Todoroki | |
◄追良瀬 (3.1 km) (3.0 km) 風合瀬► | |
青森県西津軽郡深浦町大字驫木字扇田18[2] 北緯40度42分25.70秒 東経139度58分58.70秒 / 北緯40.7071389度 東経139.9829722度 / 40.7071389; 139.9829722座標: 北緯40度42分25.70秒 東経139度58分58.70秒 / 北緯40.7071389度 東経139.9829722度 / 40.7071389; 139.9829722 | |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■五能線[1] |
キロ程 | 76.0 km(東能代起点) |
電報略号 | トト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[2] |
開業年月日 | 1934年(昭和9年)12月13日[2][3] |
備考 | 無人駅[2][1] |
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驫木駅(とどろきえき)は、青森県西津軽郡深浦町大字驫木字
歴史
- 1934年(昭和9年)12月13日:鉄道省五所川原線(現・五能線)の駅として開設[2][3]。
- 1936年(昭和11年)7月30日:線路名称改定。五所川原線が五能線へ編入、同線の駅となる[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR東日本の駅となる[3]。
- 2008年(平成20年)12月:駅舎改修工事完了。
- 2010年(平成22年)4月1日:管理駅が深浦駅から五所川原駅へ変更。
駅構造
弘前統括センター(五所川原駅)管理の無人駅。木造駅舎は1951年(昭和26年)に建てられ[2]、内部に「驫木駅 思い出ノート」がある[1]。
日にち毎のホームから見える夕日の方向を示した「夕焼け暦」と夕日時計がホーム北側部分に設置され、ホームから日本海に沈む夕日が眺められることで知られている[1]。
駅周辺
その他
- JRのトクトクきっぷ「青春18きっぷ」宣伝ポスター(2002年春期)に登場した[1][4]。そのポスターに「日本海が迫る小さくて素朴な駅舎、驫木という名前にも味わいがあり、旅情を誘うたたずまいがある」とのキャッチコピーが記載されていた[1]。
- 2023年のJR東日本のCM「東北へ篇」で驫木駅が登場している。
- 「驫」は日本の駅名に使用されている漢字の中で最も画数が多い(30画)。
- 元々「驫木」は周辺の集落名で、由来は、波の音・瀬の音が轟き、3頭の馬も驚いたと言う所からだと言う。
- ホームには日時計と、夕焼け暦(その日にホームから見える夕日の方角を示したもの)が置かれている。
- 男はつらいよ 奮闘篇(第7作)に、さくら(倍賞千恵子)が当駅に降り立つシーンが登場する。マドンナの太田花子(榊原るみ)は驫木出身の設定。花子のシーンでは、1970年(昭和45年)当時の旧駅舎と五能線が登場する。
隣の駅
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g 鵜沼照都 (2015年4月29日). “駅の細道 みちのく点景 JR五能線・驫木駅 青森 空と海、旅情誘う「聖地」”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 青森全県版
- ^ a b c d e f g h i 『週刊 JR全駅・全車両基地』 31号 青森駅・弘前駅・深浦駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年3月17日、26頁。
- ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、551頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 込山富秀『「青春18きっぷ」ポスター紀行』講談社、2015年5月26日、76-77頁。ISBN 978-4-06-219279-8。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、驫木駅に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
- 駅の情報(驫木駅):JR東日本