若竹

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若竹
Wakatake
円楽党」の看板を掲げた若竹ビル
(2009年12月撮影)
南側入口の庇の上に「若竹」のロゴがある。
地図
地図
店舗概要
所在地 135-0016
東京都江東区東陽5丁目31-17
開業日 1985年3月21日
閉業日 1989年11月25日
建物名称 若竹ビル
中核店舗 本文参照
営業時間 施設により異なる
駐車台数 0台
駐輪台数 0台
最寄駅 東京メトロ東西線東陽町駅
最寄バス停 都営バス江東区役所前」停留所(四ツ目通り沿い)
最寄IC 首都高速9号深川線木場出入口
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若竹(わかたけ)は、東京都江東区東陽で円楽一門会が経営・使用していた寄席である。

概要

開設に至る経緯

1978年落語協会を脱会した六代目三遊亭圓生が、ほとんどの一門弟子や孫弟子と共に落語三遊協会を設立したが、翌1979年9月3日に圓生が急死したことから落語三遊協会は自然消滅し、翌1980年2月1日に総領弟子五代目三遊亭圓楽を除く、六代目三遊亭圓窓、三遊亭圓彌三遊亭圓丈などは落語協会に復帰した[注釈 1]

圓楽は1980年大日本落語すみれ会1985年に落語円楽党、1990年円楽一門会に改名)を創立したが、圓楽一門は浅草演芸ホール鈴本演芸場新宿末廣亭池袋演芸場の都内の定席寄席に出演することが出来ないため、圓楽は弟子達の稽古場を設けるため自らの私財を投げ打ち、1億4千万円の借金(総額6億円以上)をして1985年3月11日に寄席若竹をオープンした。

寄席のオーナーを席亭と呼ぶが、江戸時代に始まる落語の歴史上、一落語家が席亭を兼ねることは、極めて稀である。

基本は昼の定席興行(1か月を10日ずつ上席・中席・下席)で円楽党所属の噺家のほか、色物芸人[注釈 2]が出演した。夜は大学の落語研究会(落研)などアマチュア落語家団体も含めて貸席での営業となった[1]

圓楽の高弟かつ真打に当たる三遊亭鳳楽三遊亭好楽三遊亭圓橘・三遊亭楽太郎・三遊亭金也は、圓楽の命令で若竹でそれぞれ一か月に2~3回の独演会を開催していた[2]。弟子にもかかわらず会場の使用料を一回につき6万円払わせていたため、落語協会の落語家からは陰で「寄席を作った上に弟子から上納金を取ってやがる」と言われていたという[3]

円楽党以外の落語家にも門戸を開放しており、落語芸術協会落語立川流の落語家も賛助会員として定席興行にも出演しており、特に芸協の四代目春雨や雷蔵と立川流の立川ぜん馬は定席の常連出演者となっていた[注釈 3]。これらの賛助会員には「割」(出演給)は若干上乗せされて支払われていたとされる。また当時、鈴本演芸場・池袋演芸場と絶縁状態になっていた芸協[注釈 4]も、これらの寄席の代替として「落語芸術協会の夕べ」と銘打った落語会を頻繁に開催していた。若竹としてはすべての落語家に門戸は開放していたスタンスであったが、落語協会のスタンスとしては例外を除き、所属落語家の若竹への出演を禁じていた[5][注釈 5]

若竹オープン時、立川談志は「成功は半分の可能性、下手すると半分以下」と分析している[7]

開館直後の1985年4月には、当時、五代目圓楽が司会をしていた『笑点』(日本テレビ)の公開録画が放送され(4月7日、14日放送)[8][注釈 6]、年に何度か若竹で公開収録が行われていた。同じ1985年にはNHK『演芸指定席』で円楽と同じく落語協会退会後に通常の寄席定席に出演できなくなった立川談志が「お化長屋」を若竹で収録、放送された[注釈 7]1988年には圓楽の弟子の好楽の番組復帰の場所となった(4月3日放送)[10]

借金をして若竹を建設したため、『笑点』の「大喜利」ではメンバーの桂歌丸や弟子の楽太郎などから「(若竹は)借金まみれ」「(若竹の)借金を踏み倒す(返さない、払わない)」「借金を(早く)返せ!(払え!)」「借金で首が回らない」などとネタにされた[注釈 8]

閉鎖とその後

若竹は、前述の演芸場とは違いターミナル駅から遠く、立地条件に恵まれなかった。一門会所属の鳳楽や圓橘によれば、それでも開館から3か月程の間は平日の昼の定席でも20~30人ほどの常連客が付き、土休日には新たな寄席ファンが若竹にやってきて、ほぼ満席の状態が続いたという[11]。しかしその後、圓楽の弟子達は営業の仕事を優先するようになり、若竹の出番をしばしば休演した。圓楽自身も莫大な負債を返済するため、テレビ番組の出演や全国を講演会に回ることで若竹の高座を務めることが難しくなった[12]。これらの理由で若竹の集客数は振るわず、1989年11月25日に閉場となった。

閉場の記者会見は1989年11月9日、若竹の高座に一門の弟子を集めて行われたが、午後10時過ぎに始まり翌日午前1時半過ぎに終わるという異例の会見となった[13]。最終日の25日は五代目圓楽が『芝浜』を披露し万感の思いで終幕を飾った。

閉鎖後、「大喜利」の座布団10枚の賞品としてパラオに「第2若竹」を建設するという企画が放送されたことがある(獲得者は三遊亭小遊三。1999年6月20日・27日放送。小遊三が現地の人に落語を演じるものだった)[14]

現在、円楽一門会が定席として使用している寄席はお江戸両国亭永谷商事所有)であり、原則毎月1日から15日まで定席興行を行っている。

関連商品

  • CD『5代目三遊亭圓楽 芝浜 -寄席 若竹 最後の日-』(フォンテック、2010年3月21日発売)

関連項目

  • 池之端しのぶ亭 - 5代目圓楽の弟子、三遊亭好楽が自宅に新築した寄席で、若竹と同様に、「潰れた」「解体工事中」などとネタ扱いの対象になることがある。
  • 伊集院光 - 三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)の弟子三遊亭楽大として、1985年9月10日若竹で初高座。演目は「釜泥[15]前座二つ目の修行時代をここで過ごし、閉館直後に落語家をいったん廃業。
  • 畠山健二 - 作家。演芸作家だった当時、台本を書いた漫才師が若竹に上がったのを機に、円楽一門会の若手落語家と数多く知り合った[16]
  • 新・テレビ・私の履歴書 - 1990年1月31日放送分に5代目圓楽が出演。番組内に最終日の若竹の様子が登場する。放送ライブラリーで視聴可能。
  • 四ツ目通り

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 共に落語協会を脱会した三代目古今亭志ん朝一門、七代目橘家圓蔵一門とその弟子の五代目月の家圓鏡(後の8代目橘家圓蔵)一門は、圓生の死去以前に既に落語協会に復帰していた。
  2. ^ 1985年6月の時点で主な演者は、ダーク大和伊藤夢葉早野凡平牧田博さいたまんぞうコントD51大空遊平・大海かほり(落語協会入会前)、バラクーダーなど。
  3. ^ 落語芸術協会からは雷蔵のほか、三遊亭小遊三桂米助などが、立川流はぜん馬のほか、立川談幸(現:落語芸術協会所属)などが同所で定期的に落語会を開催していた。雷蔵とぜん馬は頻繁に出演していたことから、後に「客分」扱いを外れる形となっている[4]。なお、若竹の賛助出演の名残として、現在の円楽一門会の定席興行である「円楽一門両国寄席」にも落語芸術協会・立川流所属の噺家が随時出演している(五代目円楽一門会#賛助出演を参照)。
  4. ^ 芸協と鈴本の経緯に関しては鈴本演芸場#落語芸術協会との絶縁を参照。池袋については1970年4月以降、極度の興行不振により芸協との関係が途絶していたが、改装後の1993年12月より芸協芸人の定席出演が再開している。
  5. ^ ただし、落語協会所属の林家木久蔵(初代、現・林家木久扇)林家こん平・桂才賀については、当時五代目圓楽が司会を務めていた『笑点』の大喜利メンバーであり、若竹で公開収録が行われた際に何度か出入りした経験がある[6]
  6. ^ 桂歌丸は病気のため休演。歌丸を除く5人で大喜利は行われた。
  7. ^ 2024年7月9日のNHKEテレ「おとなのEテレタイムマシン」でレストア版が放送されている[9]
  8. ^ 閉館後もネタにされ、「大喜利」のお題でメンバーが西部の保安官に扮し、指名手配された圓楽のパネル(パネル上部には「WANTED」と書かれた)を見せて、圓楽が「そいつは何者だ?」と聞くというものに、こん平は「噂によると江東区の若竹で借金を踏み倒し、中野区へ逃げ込んだ奴よ」と答え、座布団を全部没収された。(1998年3月29日放送)

出典

  1. ^ 萬象アカネ [@bansho_akane] (2019年5月15日). "【昭和の演芸】". X(旧Twitter)より2024年5月24日閲覧
  2. ^ 弘文出版『落語』1985年第23号 P62-P63より。
  3. ^ 三遊亭好楽 (2021年3月26日). “我が道(25) 「三年目」”. スポーツニッポン 
  4. ^ 弘文出版『落語』1985年第23号 P58-P59より。
  5. ^ 三遊亭円丈「〈御乱心〉三遊鼎談 三遊亭円丈×三遊亭円楽×三遊亭小遊三」『師匠、御乱心!』〈小学館文庫〉2018年、278-279頁。ISBN 978-4-09-406499-5。 座談会での六代目円楽と進行役の夢月亭清麿の発言。
  6. ^ 笑点 大博覧会 DVD-BOX』 p17 - 18および笑点放送55周年特別記念展の写真より。
  7. ^ 吉川潮『戦後落語史』〈新潮新書〉2009年、109頁。 
  8. ^ 『笑点』p86-87、日本テレビ放送網株式会社、2006年。
  9. ^ “85年『演芸指定席 落語「お化長屋」立川談志』のリストア版 Eテレで7月9日&10日放送 ”. amass (2024年7月4日). 2024年7月10日閲覧。
  10. ^ 『笑点』p94-95、日本テレビ放送網株式会社、2006年。
  11. ^ 弘文出版『落語』1985年第23号 P60-P61、コメントによる。
  12. ^ 「文藝春秋」写真資料部 (2014年6月9日). “五代目三遊亭円楽に大きな影を落とした「三遊協会」設立騒動”. 文春写真館. 文藝春秋. 2020年11月3日閲覧。 “文中引用されている五代目円楽の言葉の初出は、週刊文春2007年5月3・10日合併号。”
  13. ^ 川戸貞吉『雑誌「落語」平成元年度東京演芸界年譜』弘文出版、1990年11月1日、66-67頁。 
  14. ^ 『笑点』p122、日本テレビ放送網株式会社、2006年。
  15. ^ 松田健次 (2021年7月1日). “「今度、弟が初高座なの」あれから36年、伊集院光が落語に帰ってきた”. BLOGOS. livedoor. 2021年7月2日閲覧。
  16. ^ 畠山健二『旅行読売別冊 東京スッタモンダ「東陽町 寄席若竹の思い出」』旅行読売出版社、2020年9月15日、68-69頁。 
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