武公 (衛)
武公 姫和 | |
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衛 | |
第11代公 | |
王朝 | 衛 |
在位期間 | 紀元前812年 - 紀元前758年 |
都城 | 朝歌 |
姓・諱 | 姫和 |
諡号 | 武公 |
生年 | 不詳 |
没年 | 紀元前758年 |
父 | 釐侯 |
武公(ぶこう、紀元前?年 - 紀元前758年)は、衛の第11代君主。釐侯の子で共伯の弟。侯爵から公爵に昇格した。
生涯
釐侯の子として生まれる。
父の釐侯が卒去し、兄の共伯が立ったが、姫和はこれを襲って自殺させ、自らが衛君となった。
武公元年(前812年)、姫和は即位すると、康叔のような善政を行い、民衆を安泰させた。
武公42年(前771年)、周の幽王が西の異民族である犬戎に殺される事件が起きた。そこで姫和は兵を率いて周の救援に向かい、犬戎を討平した。周の平王はその功により姫和を侯爵から公爵へ昇格させた。
武公55年(前758年)、姫和は卒去し、武公と諡され、子の姫揚が立った。
参考資料
関連項目
- 共和 (周) - 政務を執ったとされる共伯和(中国語版)が、武公と同一人物であるという説がある。
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