榎本就正
武士の「榎本就全」とは別人です。 |
凡例 榎本就正 | |
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時代 | 江戸時代 |
生誕 | 寛永6年(1629年) |
死没 | 宝永2年2月8日(1705年3月3日) |
別名 | 吉助、勘作、猪兵衛、猪右衛門(通称) |
官位 | 主計(官途名) |
主君 | 毛利秀就→綱広→吉就→吉広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤原北家高藤流上杉氏庶流 榎本氏 |
父母 | 父:榎本就宣 |
子 | 実子:なし 養子:忠英(三戸就次の三男) |
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榎本 就正(えのもと なりまさ)は、江戸時代の武士。毛利氏の家臣で、長州藩士。父は榎本就宣。
生涯
寛永6年(1629年)、長州藩士・榎本就宣の子として生まれ、毛利秀就、綱広、吉就、吉広の四代に仕えた。
宝永2年(1705年)2月8日に死去。享年77。就正に実子は無く、三戸就次の三男である忠英(長槌、市之助、九郎兵衛)が養子として後を継いだ。
脚注
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参考文献
- 『萩藩閥閲録』巻75「榎本九郎兵衛」
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