東平府(とうへいふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から明初にかけて、現在の山東省南西部に設置された。
概要
1119年(宣和元年)、北宋により鄆州が東平府に昇格した。東平府は京東西路に属し、須城・東阿・陽穀・中都・寿張・平陰の6県と東平監を管轄した[1]。
金のとき、東平府は山東西路に属し、須城・東阿・陽穀・汶上・寿張・平陰の6県と景徳・木仁・関山・銅城・陽劉・楽安・定水・柴城・竹口・但歓・安寧・寧郷・翔鸞・固留・滑口・広里・石横・澄空・傅家岸の19鎮を管轄した[2]。
1272年(至元9年)、元により東平府は東平路総管府と改められた。東平路は中書省に属し、録事司と須城・東阿・陽穀・汶上・寿張・平陰の6県を管轄した[3]。1367年、朱元璋により東平路は東平府と改められた。
1374年(洪武7年)、明により東平府は東平州に降格し、済寧府に属した。須城県は廃止され、東平州に編入された。1385年(洪武18年)、東平州は兗州府に転属した。東平州は東阿・陽穀・汶上・寿張・平陰の5県を管轄した[4]。
清のとき、東平州は泰安府に属し、属県を持たない散州となった[5]。
1912年、中華民国により東平州は廃止され、東平県と改められた。
脚注
- ^ 『宋史』地理志一
- ^ 『金史』地理志中
- ^ 『元史』地理志一
- ^ 『明史』地理志二
- ^ 『清史稿』地理志八
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