妻木頼隆

妻木 頼隆(つまき よりたか、寛文9年(1669年) - 延享2年6月27日(1745年7月26日))は、江戸時代旗本石高3,000石)。下郷妻木家4代目。妻木頼保の子。通称は平七郎。

宝永4年(1707年)に父が奈良奉行在任中に病死し家督を継ぐ。宝永5年に使番となり、宝永6年に大坂城目付代として大坂に赴く。宝永7年越後国村上城、正徳元年(1711年)に伊勢国桑名城の城引渡し役をこなす。享保2年(1717年)に巡検使として九州各地(豊前豊後を除く)を回る。享保4年(1719年)9月より翌年3月迄長崎目付を務めた。享保9年(1724年)に浦賀奉行となり、退任後は西丸留守居を歴任した。延享2年に77歳で病没し江戸・赤坂の龍泉寺に葬られた。

参考文献

  • 日本人名大辞典(講談社
  • しろやま公民館だより第185号(2012年1月15日・妻木城址の会)