大幸喜三郎
大幸 喜三郎 | |
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生誕 | 1891年12月10日 日本 福井県 |
死没 | (1978-12-09) 1978年12月9日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
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大幸 喜三郎(おおさち きさぶろう、1891年(明治24年)12月10日[1] - 1978年(昭和53年)12月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1891年(明治24年)に福井県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期卒業[1]。陸軍派遣学生として1921年(大正10年)4月に東京帝国大学工学部造兵学科を卒業した[2][3]。1937年(昭和12年)に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、陸軍造兵廠大阪工廠検査課長に就任した[2]。
1940年(昭和15年)4月に大阪陸軍造兵廠枚方製造所長を経て[2]、同年12月に中将に進級し[2]、仁川陸軍造兵廠長となった[1]。1943年(昭和18年)に小倉陸軍造兵廠長に就任し[1]、1944年(昭和19年)に陸軍中将に進級した[2]。1945年(昭和20年)3月15日より兼西部軍管区司令部附[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
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