土倉一長

土倉 一長(とくら かずなが、寛永16年(1639年) - 元禄11年10月6日(1698年11月8日))は、岡山藩家老

父は岡山藩家老土倉一成。母は鵜殿大隅の娘。正室は池田長泰の娘。養子に土倉戌千代(一明)、土倉一涂。通称は四郎兵衛。

寛永16年(1639年)、岡山藩家老土倉一成の子として岡山に生まれる。天和2年(1682年)、一成の隠居により家督相続し、岡山藩家老、佐伯1万1000石の領主となる。同年、藩主綱政の十一男戌千代を養子に迎えるが、元禄2年(1689年)に戌千代は夭折した。元禄11年10月6日没。家督は交代寄合山崎義方の次男大五郎(一涂)が養子となって相続した。

参考文献

  • 『池田老臣累記』
  • 『備前家老略伝』

勝看 - 一成 - 一長 - 一涂 - 一貞 - 一信 - 一之 - 一静 - 一善 - 一昌 - 一善 - 正彦 - 一昌 - 鉚太郎 - 万亀 - 光三郎 - 一郎

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