勝山スケーティングクラブ
勝山スケーティングクラブ | |
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施設情報 | |
用途 | アイススケート |
収容人数 | メインリンク観客席:300席 |
竣工 | 1978年(昭和53年) |
所在地 | 〒980-0011 宮城県仙台市青葉区上杉2丁目10-30 |
位置 | 北緯38度16分28.2秒 東経140度52分21.7秒 / 北緯38.274500度 東経140.872694度 / 38.274500; 140.872694 (勝山スケーティングクラブ)座標: 北緯38度16分28.2秒 東経140度52分21.7秒 / 北緯38.274500度 東経140.872694度 / 38.274500; 140.872694 (勝山スケーティングクラブ) |
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画像外部リンク | |
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勝山スケーティングクラブ建設前の地理院地図 1974年〜1978年の空中写真と現在の地図の透過。 | |
勝山スケーティングクラブ建設後の地理院地図 1984年〜1987年の空中写真と2007年以降の空中写真の透過。 |
勝山スケーティングクラブ(かつやまスケーティングクラブ)は、かつて宮城県仙台市青葉区上杉に存在したスケートリンクである。仙台市都心部の北側にあり、上杉六丁目交差点(愛宕上杉通と北六番丁の交差点)の南西の街区内に位置する。
1978年(昭和53年)12月9日開場し、2009年(平成21年)4月30日に閉鎖された。同年中に建物は解体され、跡地は西友勝山公園店[※ 1]等の平面駐車場として利用された。
概要
当地は、1688年(元禄元年)創業の勝山酒造[※ 2](北緯38度16分27.3秒 東経140度52分24.4秒 / 北緯38.274250度 東経140.873444度 / 38.274250; 140.873444 (勝山酒造(1688年創業、当地での酒造は1857年〜2005年)))が1857年(安政4年)、仙台藩より「御酒御用酒屋」に任命された際に与えられた土地であり、同社の酒蔵などがあった[1][2][3]。当区画の西側部分に1972年(昭和47年)に勝山ボウリングクラブ(北緯38度16分28.2秒 東経140度52分19.8秒 / 北緯38.274500度 東経140.872167度 / 38.274500; 140.872167 (勝山ボウリングクラブ(1972年開場〜2011年閉場)))が開業[※ 3]、北東部分に1975年(昭和50年)に東日本放送(北緯38度16分30秒 東経140度52分23.2秒 / 北緯38.27500度 東経140.873111度 / 38.27500; 140.873111 (東日本放送(1975年開局〜1991年移転)))が開局[※ 4]し、中央南部分に1978年(昭和53年)に当アイススケート場(北緯38度16分28.2秒 東経140度52分21.7秒 / 北緯38.274500度 東経140.872694度 / 38.274500; 140.872694 (勝山スケーティングクラブ(1978年開場〜2009年閉場)))が開場した。
1階は駐車場、2階にリンクや付属施設、かのおスポーツ勝山スケーティングクラブ店(スポーツ用品店)があった。全天候型で、年間を通してスケートを行うことが可能であった。
開場当初から、当リンク所属のアイスホッケーチームとフィギュアスケートのクラブが発足した。しかし利用者数は、開場間もない1980年(昭和55年)に約18万人/年でピークとなったが、2000年代後半は4-5万人/年で推移するほど落ち込んだ[4][5]。
出身有名人
当リンクをホームリンクとしていた時期がある冬季オリンピックフィギュアスケート日本代表は以下の通り。
開催年 | 出場者 | 種目 | 結果 | ||
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氏名 | 生年月日 | 出身 | |||
1994年 | 及川史弘[6] | 1973年08月26日 | 宮城県 | 男子S | 22位 |
1998年 | 荒井万里絵[7] | 1981年12月07日 | ペア | 20位 | |
荒川静香 | 1981年12月29日 | 女子S | 13位 | ||
2006年 | 01位金メダル | ||||
2014年 | 羽生結弦 | 1994年12月07日 | 男子S | 01位金メダル | |
2018年 | 01位金メダル |
他に、日本人初のNHL選手である福藤豊が高校生時代に通っていたことが知られており、トリノオリンピック後には、中野友加里、鈴木潤ら著名なスケーターが何人も滑りに来ていた[5]。その他、仙台放送『スポルたん!LIVE』の二代目アシスタントで、女子大生プロアイススケーターとしても活躍した新海史子[※ 5]も当クラブに所属していた。
規格
- メインリンク:56m×26m(国際規格)
- ジュニアリンク:不明
アクセス
脚注
注釈
- ^ 2002年(平成14年)6月開店、2012年(平成24年)6月10日閉店。24時間営業。勝山ボウリングクラブ1階の一部(売り場面積990m2)を占める核テナントだった。
- ^ 勝山企業株式会社勝山酒造部が、2005年(平成17年)に当地から泉ヶ岳南東麓の仙台市泉区福岡に移転し、2010年(平成22年)7月に「仙台伊澤家 勝山酒造株式会社」となった。
- ^ 1972年(昭和47年)12月22日に開場(1階と2階を合わせて88レーン)。同じ建物内にはボウリング場の他に、勝山ホールや仙台精養軒があった。2002年(平成14年)、1階に西友勝山公園店が入居したため、2階のみ60レーンでの営業になった。2010年(平成22年)10月に、スケート場跡地を含む約1万7000m2を住友不動産に売却。2012年(平成24年)3月までボウリング場は営業継続し、その後は住友不動産が跡地開発をする予定だった。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災したため同日から営業が休止され、同年4月10日に閉鎖された。
- ^ 1974年(昭和49年)10月30日に設立され、1975年(昭和50年)10月1日に当地で開局。1991年(平成3年)9月26日に本社を当地から青葉区双葉ヶ丘に移転し、さらにその後2021年(令和3年)9月20日に太白区あすと長町に移転した。
- ^ 2011年(平成23年)4月に新潟放送のアナウンサーとなった。
出典
関連項目
- 五色沼 (仙台市)#スケート
- 仙台のスポーツ#閉鎖
- 勝山公園 (仙台市)
- 伊澤平一 - 開設当時の勝山酒造経営者
外部リンク
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