出口隆義
出口隆義 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | (1954-02-25) 1954年2月25日(70歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | 栗東・諏訪佐市(1974 - 1980) 栗東・大沢真(1980 - 1984) 栗東・諏訪佐市(1984 - 1987) 栗東・松元省一(1987 - 1988) 栗東・フリー(1989 - 1990) |
初免許年 | 1974年3月2日 |
免許区分 | 平地(初期には障害免許も保持) |
騎手引退日 | 1990年 1989年12月17日(最終騎乗) |
重賞勝利 | 5勝 |
通算勝利 | 266勝 |
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出口 隆義(でぐち たかよし、1954年2月25日 - )は、北海道出身の元騎手。
経歴
1974年3月2日に栗東・諏訪佐市厩舎からデビューし、阪神第2競走4歳未勝利・ヤマニンチェス(13頭中13着)で初騎乗を果たすと、4月7日の阪神第4競走4歳200万下・サントップで初勝利を挙げる[要出典]。
1年目の同年から2桁の15勝(平地13勝, 障害2勝)をマークし、2年目の1975年には阪神障害ステークス(秋)・スズカクインで重賞初制覇を挙げ、35勝(平地31勝, 障害4勝)と一気に勝鞍を増やす。3年目の1976年からは平地の騎乗に専念し、自己最多の40勝を挙げて全国10位にランクイン。同年はスリーヨークで金杯(西)を制して平地重賞初制覇を挙げると、続く中日新聞杯も制して重賞を連勝[要出典]。
1977年は18勝に終わるが、1978年には30勝をマーク。1980年からは大沢真厩舎に移籍し、同年と1981年は9勝に終わる。1982年から1985年には4年連続10勝台の2桁勝利を記録し、その間の1984年には諏訪厩舎に復帰[要出典]。
1982年にはマイラーズカップで愛知から移籍2戦目のカズシゲに騎乗し、14頭中10番人気ながらサクラシンゲキをクビ差封じると同時にオペックホース・ケイキロク・ハッピープログレスを抑えて勝利。続くサンケイ大阪杯でもカツアールを抑えてサンエイソロンの3着に入ったが、天皇賞(春)と宝塚記念は共に6着と掲示板を外して降板[要出典]。
1984年にはハシコトブキ産駒のイブキカネールで阪神3歳ステークスに騎乗して4着に入り、1985年のきさらぎ賞では16頭中15番人気で3連勝中のダイゴトツゲキを破る[要出典]。
1985年には4歳牝馬特別で16頭中13番人気のアルファローズに騎乗してエルプス・タカラスチールの4着に入り、1986年の小倉記念では軽量50kgを活かして3着に逃げ粘る[要出典]。
1987年には松元省一厩舎へ移籍し、北九州記念ではアルファローズでプレジデントシチー・カツラギハイデンを抑えて2着に逃げ粘る[要出典]。
1988年には3年ぶり最後の2桁となる11勝をマークし、1989年からはフリーとなる。1989年は4月16日の新潟第7競走4歳以上400万下ではダイユウサクで好スタートから先行し勝利すると、枠連3万1640円という高配当を演出した[1]。7月30日の小倉第3競走3歳新馬をハリケンローズで逃げ切ったのが最後の勝利となり、同年12月17日の中京第12競走4歳以上400万下・トップクローネ(16頭中5着)で最後の騎乗となった。1990年引退[要出典]。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 260 | 274 | 283 | 2200 | 3017 | .086 | .177 |
障害 | 6 | 4 | 0 | 14 | 24 | .250 | .417 |
計 | 266 | 278 | 283 | 2214 | 3041 | .087 | .179 |
主な騎乗馬
- スズカクイン(1975年阪神障害ステークス (秋))
- スリーヨーク(1976年金杯 (西)・中日新聞杯)
- カズシゲ(1982年マイラーズカップ)
- イブキカネール(1985年きさらぎ賞)
- その他
- キョウワサンダー
- ダイユウサク