一水四見
一水四見(いっすいしけん)とは、唯識のものの見方。認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え[1]。
- 人間にとっての河(=水)は
- 天人にとっては歩くことができる水晶の床
- 魚にとっては己の住みか
- 餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
というように、見る者によって全く違ったものとして現れるという。似たようなものに次のような古歌がある[2]。
「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」
猿沢池のほとりの興福寺は唯識を研究する法相宗の本山でもある。
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