ディエゴ・デ・サンタ・カタリナ
ディエゴ・デ・サンタ・カタリナ(Diego de Santa Catalina、生年不詳 - 1636年6月1日)は、江戸時代初期に来日したスペインのフランシスコ会宣教師[1][2]。
経歴・人物
1613年に日本に渡航したロドリゴ・デ・ビベロ(ドン・ロドリゴ)とアロンソ・ムニョスが受け取った親書を当時のスペイン国王のフェリペ3世に渡したことにより[2][3]、日本へ派遣する者の一人に任命される[2]。1615年(元和元年)に日本とメキシコの貿易交渉の成立を目的に浦賀に来航した[1][2]。
しかし当時日本はキリスト教禁教令が発令されていたことにより[1][2]、またその親書は目的とは異なり宣教師の殉教を免れるという保護の主旨であった[2]。これによって日本人キリシタンやスペイン[3]、ポルトガルとの関係は悪化し徳川家康との謁見は不許可となり[3]、次代将軍の徳川秀忠にも冷遇される[2][3]。この影響により交渉は不成立に終わり[1][2]、翌1616年(元和2年)に離日した[1][2]。その後はメキシコシティの修道院長や評議員となり[3]、1625年には故郷のサン・パブロ管区に移住した[3]。
脚注
- ^ a b c d e “ディエゴ デ サンタ カタリナ”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “ディエゴ・デ・サンタ・カタリナ”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2023年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f “ディエゴ・デ・サンタカタリナ”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン). 2023年8月21日閲覧。
フランシスコ会 | ||
---|---|---|
フランシスコ会士 | ||
修道院 | ||
教会・伝道施設 | ||
関連項目 | ||
派出・系列修道会 |
カトリックの来日宣教師(1549年 - 18世紀) | |
---|---|
日本のキリスト教史 | |
イエズス会 | フランシスコ・ザビエル · コスメ・デ・トーレス(1549) · ルイス・デ・アルメイダ(1552) · ガスパル・ヴィレラ(1556) · ルイス・フロイス(1563) · フランシスコ・カブラル (1570) · オルガンティノ(1570) · ガスパール・コエリョ(1572) · ジョアン・ロドリゲス(1577) · グレゴリオ・デ・セスペデス(1577) · アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1579) · ペドロ・ゴメス(1583) · ジョバンニ・ニコラオ(1583) · カルロ・スピノラ(1602) · クリストヴァン・フェレイラ(1609) · ディエゴ・コスタ(1609) · ジュゼッペ・キアラ(1643) |
フランシスコ会 | ジェロニモ・デ・ジェズス(1594) · ルイス・ソテロ(1603) |
ドミニコ会 | ディエゴ・コリャード(1619) |
その他 | ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(1708) |
関連事項 | |
キリスト教ポータル |
- 表示
- 編集
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |
- 表示
- 編集