ジャン2世 (キプロス王)
ジャン2世 Jean II | |
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エルサレム国王 キプロス王国 キリキア・アルメニア国王 | |
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在位 | 1432年 - 1458年 |
出生 | 1444年6月28日 キプロス ニコシア |
死去 | 1487年7月16日 キプロス ニコシア |
配偶者 | アメデーア・パレオロガ |
エレニ・パレオロギナ | |
子女 | シャルロット クレオーファ (庶子)ジャック2世 |
家名 | リュジニャン家 |
父親 | ジャニュ |
母親 | シャルロット・ド・ブルボン |
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ジャン2世(Jean II de Chypre, 1418年5月16日 - 1458年7月28日)は、キプロス王、名目上のエルサレム王、キリキア・アルメニア王(在位:1432年 - 1458年)。
生涯
キプロス王ジャニュと、その2番目の妻でラ・マルシュ伯ジャン1世の娘であるシャルロット・ド・ブルボンの間の長男として生まれた。王位に就く以前は、名目上のアンティオキア公の称号を帯びていた。
1437年、モンフェッラート侯ジョヴァンニ・ジャコモの娘アメデーアと代理結婚により婚姻した。アメデーアは1440年にキプロス島に輿入れし、同年7月3日に正式な結婚式を挙げたが、新妻はその2か月後に急死した。1442年2月3日、モレアス専制公テオドロス2世(東ローマ皇帝ヨハネス8世の弟)の娘エレニと再婚し、間に2人の娘をもうけた。
- シャルロット(1444年 - 1487年) - キプロス女王
- クレオーファ(? - 1448年)
また、ジャン2世には愛妾マリエット・ド・パトラとの間に庶出の息子があった。
- ジャック2世(1440年頃 - 1473年) - キプロス王
庶子ジャックは1456年にニコシア大司教の聖職を授けられるが、とてもその任に堪える素行の人物とは言えず、宮廷の侍従を殺害する事件を起こして大司教の位を剥奪された。だが、ジャン2世は後にジャックを大司教に復させている。
王妃エレニとジャックの仲は険悪で、両者はジャン2世王に対する影響力をめぐり、競い合った。1458年にエレニが死ぬと、ジャン2世はジャックを後継者に据えようとしたようだが、それが実現する前に死亡した。
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リュジニャン家 |
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※1489年、ヴェネツィア共和国に譲渡 カテゴリ |